2009年08月07日
剣岳 <点の記>
映画「剣岳」を封切直後、観に行った。
夫が持っていた本があったので、その後読んでみた。
当たり前のことだが原作と映画は違うところもあったが、私の興味を引いたのは、作者「新田次郎」が40ページもの長さで書いた「越中剣岳を見詰めながら」というあとがきだった。
これによると、山岳小説を書くようになってから、編集者から「剣岳初登頂」のことを書くよう勧められたが躊躇していると、たくさんの資料を集めてきて書くよう再度促された。
剣岳登頂のことを書くなら、何がなんでも剣岳に登らなくては・・・と、64歳にして出版社の山岳部員とともに頂上へ登り、錫杖の頭と剣の先が置いてあった場所や、玉殿、そして当時、柴崎測量官らが泊まったが今は廃墟となっている「立山温泉」を探し歩いて取材した事、測量の方法を文章にすることの難しさなどが書かれていて、本文と同じくらい感銘を受けた。
日本の山のほとんどはこうした測量隊によって初登頂されたそうである。
夫が持っていた本があったので、その後読んでみた。
当たり前のことだが原作と映画は違うところもあったが、私の興味を引いたのは、作者「新田次郎」が40ページもの長さで書いた「越中剣岳を見詰めながら」というあとがきだった。
これによると、山岳小説を書くようになってから、編集者から「剣岳初登頂」のことを書くよう勧められたが躊躇していると、たくさんの資料を集めてきて書くよう再度促された。
剣岳登頂のことを書くなら、何がなんでも剣岳に登らなくては・・・と、64歳にして出版社の山岳部員とともに頂上へ登り、錫杖の頭と剣の先が置いてあった場所や、玉殿、そして当時、柴崎測量官らが泊まったが今は廃墟となっている「立山温泉」を探し歩いて取材した事、測量の方法を文章にすることの難しさなどが書かれていて、本文と同じくらい感銘を受けた。
日本の山のほとんどはこうした測量隊によって初登頂されたそうである。
Posted by はづき at 12:56│Comments(0)