2009年10月28日
青春18切符の旅6 信州上田
翌日は小諸から、しなの鉄道で上田に向かった。
上田藩は真田家が治めていたので、真田家の家紋「六連銭」が今でも街のあちこちにある。
上田城へ歩いていく途中、殿様の屋敷跡に上田高校が建っていた。
何だか侍の風貌をした高校生が出てきそうだ。
戦国時代の小大名の生き残りをかけて、真田家は協議の末、兄は徳川方に、父と弟の幸村は豊臣方に付いて、関が原、大阪冬の陣、夏の陣を兄弟が敵味方に分かれて戦い、幸村は壮絶な戦いの末、討ち死にしてしまう。
兄の方は幕末まで家が断絶することなく続いたそうだ。
石垣の大きな石は、上田城を築城
した真田昌幸(幸村の父)が太郎山
(1160m、今は山腹を上信越自動車
道が貫いている) から掘り出してきた
もので「真田石」と呼ばれている。
城内で上田城の歴史を見ていたら、一つの事に気づいた。
真田氏二代の次は仙石氏が上田藩を治めていたのだが、三代目の仙石政明が出石(いづし)へ移封されている。
この蕎麦好きの殿様が出石へ上田の蕎麦職人を連れて行ったのだ!
誰かにこの発見を話したいのだが、生憎の一人旅・・・。
そこで受付の女性に話してみたら、豊岡の出石のことは全然知らなかった。
こちらの仙石の殿様が出石で蕎麦を広めて、小さな町に今や蕎麦屋は30軒!
「とってもおいしいお蕎麦なんだから・・・」と言うと、一度そこへ行ってみたいです、と笑顔で応えていた。
上田駅から上田電鉄に乗って、最終目的地「別所温泉」へ出発した。
駅に掲示してある幸村の木彫り この奥が上田電鉄の改札口
続 く
上田藩は真田家が治めていたので、真田家の家紋「六連銭」が今でも街のあちこちにある。
上田城へ歩いていく途中、殿様の屋敷跡に上田高校が建っていた。
何だか侍の風貌をした高校生が出てきそうだ。
戦国時代の小大名の生き残りをかけて、真田家は協議の末、兄は徳川方に、父と弟の幸村は豊臣方に付いて、関が原、大阪冬の陣、夏の陣を兄弟が敵味方に分かれて戦い、幸村は壮絶な戦いの末、討ち死にしてしまう。
兄の方は幕末まで家が断絶することなく続いたそうだ。
石垣の大きな石は、上田城を築城
した真田昌幸(幸村の父)が太郎山
(1160m、今は山腹を上信越自動車
道が貫いている) から掘り出してきた
もので「真田石」と呼ばれている。
城内で上田城の歴史を見ていたら、一つの事に気づいた。
真田氏二代の次は仙石氏が上田藩を治めていたのだが、三代目の仙石政明が出石(いづし)へ移封されている。
この蕎麦好きの殿様が出石へ上田の蕎麦職人を連れて行ったのだ!
誰かにこの発見を話したいのだが、生憎の一人旅・・・。
そこで受付の女性に話してみたら、豊岡の出石のことは全然知らなかった。
こちらの仙石の殿様が出石で蕎麦を広めて、小さな町に今や蕎麦屋は30軒!
「とってもおいしいお蕎麦なんだから・・・」と言うと、一度そこへ行ってみたいです、と笑顔で応えていた。
上田駅から上田電鉄に乗って、最終目的地「別所温泉」へ出発した。
駅に掲示してある幸村の木彫り この奥が上田電鉄の改札口
続 く
Posted by はづき at
21:57
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