2009年10月08日
九州の旅5 鞠智(きくち)城
高千穂峡から南阿蘇へ向かい、この日は休暇村で泊まった。
温泉があり、部屋も良く、料理もおいしくてとてもいいところだった。
翌朝、阿蘇山ロープウェイ乗り場に
着くとこんな表示が・・・。
火山ガスも怖いが、すごい強風だった
のでロープウェイがはずれる心配の方
が大きい。
でも、阿蘇山へ登るのを楽しみにして
いたので、がっかりした。
しかたなく、阿蘇山の火山灰が入ったソフトクリームを食べて、走る車の中から噴煙を眺めた。
きのうのホテルのロビ-で八角形の塔の写真を見た夫が、そこへ行ってみようと言うので、探し探して着いたのが「鞠智城」だった。
7世紀半ば、「白村江」の戦いで破れた日本が、唐・新羅の連合軍が攻めてくる危険から大宰府を守るため、九州にいくつかの城を築いたが、鞠智城はそれらの城へ食糧や武器、兵士を送るための支援基地となっていた。
発掘調査で発見され、復元されて今は歴史公園になっている。
防人の兵舎 米倉
八角形の建物は、「鼓楼」という見張り台で、太鼓で時間や危険を城内に知らせる役目をしていた。
遠くから均整の取れた姿を眺め、近づいて中の柱の作りをのぞきこんだ。1300年も前の素晴らしい建物だ。
予定には全然なかったところを見て、古代の歴史を知るいい日になった。
続 く
温泉があり、部屋も良く、料理もおいしくてとてもいいところだった。
翌朝、阿蘇山ロープウェイ乗り場に
着くとこんな表示が・・・。
火山ガスも怖いが、すごい強風だった
のでロープウェイがはずれる心配の方
が大きい。
でも、阿蘇山へ登るのを楽しみにして
いたので、がっかりした。
しかたなく、阿蘇山の火山灰が入ったソフトクリームを食べて、走る車の中から噴煙を眺めた。
きのうのホテルのロビ-で八角形の塔の写真を見た夫が、そこへ行ってみようと言うので、探し探して着いたのが「鞠智城」だった。
7世紀半ば、「白村江」の戦いで破れた日本が、唐・新羅の連合軍が攻めてくる危険から大宰府を守るため、九州にいくつかの城を築いたが、鞠智城はそれらの城へ食糧や武器、兵士を送るための支援基地となっていた。
発掘調査で発見され、復元されて今は歴史公園になっている。
防人の兵舎 米倉
八角形の建物は、「鼓楼」という見張り台で、太鼓で時間や危険を城内に知らせる役目をしていた。
遠くから均整の取れた姿を眺め、近づいて中の柱の作りをのぞきこんだ。1300年も前の素晴らしい建物だ。
予定には全然なかったところを見て、古代の歴史を知るいい日になった。
続 く
Posted by はづき at 00:38│Comments(2)
この記事へのコメント
写真の撮り方も上手なので、八角形の建物が一段と美しく見えます。
本当に昔の建物には「美学」を感じます。
その土地に根付いた建造物をちゃんと創っているのですから。
本当に昔の建物には「美学」を感じます。
その土地に根付いた建造物をちゃんと創っているのですから。
Posted by akatokuro at 2009年10月08日 20:47
吉野ヶ里遺跡の建造物(3000年前ですよ~!)にしても、天智天皇時代のこの建物にしても、
そんな昔に、よくこんな立派なものが出来たものだなあと感心してしまいます。
ここは広い敷地に、復元した建物がいくつか点在し、学習施設もあるのに入場料は無料!
そんな昔に、よくこんな立派なものが出来たものだなあと感心してしまいます。
ここは広い敷地に、復元した建物がいくつか点在し、学習施設もあるのに入場料は無料!
Posted by はづき at 2009年10月10日 14:39